あの日から5年。
5年です。
まだまだ復興途中の中。
「5年という節目」と語ることに
違和感を覚えながら、
今日を過ごしました。
3月11日。
皆さんはどんな思いで
過ごされたのでしょうか?
やっぱり特別な1日で、
今年も5年前の3月11日、そして
それからの毎日の出来事を
鮮明に思い出しました。
きっと思い出したくない
こともありますよね。
この数日、震災に関する取材に
出かけることが多く、
色々な人にお話しを
伺わせて頂きました。
涙をぐっとこらえて
お話をされる姿を見て、
「また思い出させてしまった。。。」と
思うことも。
毎年この時期になると
お話を聞くのが辛いことがあります。
わざわざ辛い記憶を
掘り起こさなくても
いいのではないかと。
収録後に、「辛く悲しいことを
思い出させてしまって
ごめんなさい。」とお伝えすると、
「いえいえ。こうやってしっかりと
当時のことは思い出さなきやね。
それがまた力になるから。」と
優しく言っていただき、
私自身、安心したのと同時に
やっぱりあの日、何が起きて、
どんな思いで皆が過ごしてきたのか、
これからも伝えていかなくては
いけないのだと、強く思いました。
とても辛く悲しく、
それと同時に、
あの時に皆が誰かを思いやり
前に進もうとする力が、どれだけ
福島、そして東北の支えになったか。
今日、ふくしまFMでは私たち
アナウンサーが
農業、漁業、観光、医療、教育の現場を
取材し、そのレポートを生放送で
お届けしました。
5年が経過し変わったこと、変わらないこと。
私は、原発事故による
避難を余儀なくされた
阿武隈地域に住む農家のお母さんたちと、
福島大学小規模自治体研究所の
先生方が2011年に立ち上げたプロジェクト
『かぁちゃんの力プロジェクト協議会』を通し、
“福島の農業”の今をお伝えしました。
自らも飯舘村から福島市で
避難生活を送り、
このプロジェクトの会長を務める
渡邉とみ子さん。
取材にお邪魔すると
「いらっしゃい。温かいコーヒーをどうぞ。」と
優しい笑顔で、飯舘村の(現在は福島市に
移転し営業を再開されている)
椏久里珈琲のコーヒーを淹れながら
お話を聞かせてくださいました。
この5年の振り返り「あっとういう間だった。
自分の自由になる時間はなかった。
無我夢中で、日々マラソン状態」と
話す渡邉さん。避難をしてすぐ、
飯舘村で育ててきた
“いいたて雪っこかぼちゃ”の種を
繋ぐために必死で土地を開拓し、
種をまき、育ててきたその思いを伺うと、
「あの時を振り返ると辛くて涙が出る。
でもやるしかなかった。
やめるという選択肢はなかった。
飯舘、福島県の農産物は
本当に美味しい。この美味しさを
これからも世界へ発信していく。」
そんな風にお話を聞かせてくださいました。
「やめるという選択肢はなかった」。
農家のみなさんの強さ。
あの時も今も変わりません。
震災特番の後、
福島市で行われた
「ふくしまコンサート復興のひびき」へ
取材へ行ってきました。
そしてスタジオに帰ってくると
ナイクさんからシュークリームや
ミルフィーユの差し入れが。
震災後、ナイクさんが初めて
スタジオに来てくれたときも
生菓子を持って
きてくれたんですよね。
どれだけ美味しかったか。
矢野ちゃんと、
感謝しながら食べた
ことを思いだし、
また胸がいっぱいになります。
あの日からの沢山の日々を思い出した
この数日。
3月11日。
亡くなられた方に哀悼の意を表し、
復興への思いを新たにする
とても大切な1日です。
今日からまた1歩。
前へ進んでいきたいですね。