未来へ向かって

1月17日。3月11日と同じように忘れられない日です。

信じられない大きな揺れで目が覚めたあの日の朝。
関西で生まれ育った私は、地震の揺れを
ほとんど経験したことがなく、
この揺れが一瞬なんなのかわかりませんでした。

父や母が大慌てで私や弟達の名前を呼びながら
それぞれの部屋へやってきて、
「大丈夫!!大丈夫」と叫んでいました。
本当に怖かった。

そして、テレビをつけると、そこには信じられない光景が広がっていました。

「もうあかんかもしれへん。。。」と父が、
大きなシャベルとスコップをもって、
祖父母の住む神戸の街へ向かったのは
午前7時にもなっていない頃でした。

何が現実か、わからないままに過ぎていく時間の中で
祖父母や親戚の無事を神様に祈ることしかできませんでした。

夜中になっても父は帰って来なくて、
「もしかすると二次災害に巻き込まれたかもしれない。。。」
その日の夜は不安で眠ることができませんでした。

そして翌日の午前4時頃、
車に祖父母を乗せた父が帰ってきました。
全壊する際にできた小さな空間に
祖父母はじっと座っていたそうです。
駐車場まで迎えにいった私に、祖母が最初に言った一言は
「梨香ちゃん、ありがとう。」でした。

それから約1年。祖父母は大阪の我が家で避難生活を送っていたのですが、
神戸の街へ帰りたそうにする祖父の顔が忘れられません。

また親戚の多くも神戸に住んでおりました。
毎年親戚一同が楽しみに集まる家が全壊し、
大切な仲間を失い大きな哀しみの淵にいる従姉を見て
ただただ、この状況が夢であって欲しいと
思わずにはいられませんでした。

今日は何度も「1.17のつどい」の映像を見ていました。
午前5時46分と午後2時46分に、
神戸と東北で、黙祷を捧げる方々の姿を拝見し、
他の誰かから受けるとる、優しさやあたたかい思いが
これまで神戸の街を支えてきたのだと感じると同時に、
今、福島をはじめ東北を支えているのも、
誰かが誰かを思いやる心なんだと改めて感じております。

一瞬で人の命を奪ってしまった出来事は
大きな哀しみと痛みを多くの人に与えました。
家族や友人、大切な方を亡くされた方の哀しみが
消えることは何年経ってもないと思うのですが、
輝きを取り戻しつつある神戸の街と同じように
少しづつ心に明かりがともり、希望を持って
未来へと歩いていければと思います。

大変な状況の中で、苦しみ悲しんでいる方が
私の番組を聴いて下さっている方の中に
大勢いらっしゃる中で、
阪神淡路大震災のことを書くのはどうかと悩みましたが、
17年前、阪神淡路大震災を経験した一人として
あの日のことも絶対に忘れてはいけないと感じ、
今の気持ちを書かせていただきました。

スタジオから見える今日の郡山の空。
神戸と繋がる福島の空。澄んでいてとっても綺麗な青色です。
今日の神戸はどんな空かなぁ。