「インドネシア」に派遣されていました、身玉山 宗三郎さん

「キミノチカラ、海をこえて 〜青年海外協力隊の道」11/15放送

こんにちは、DJイタルです!

今週も言いますよ!そうなんです、
「JICA二本松」が、なんと、今年の12月で設立20周年を迎えます!

と言うことで、先週からJICA二本松訓練所20周年特別企画。
JICA二本松訓練所におじゃましています。

そして今回の20周年企画は、なんと二本松訓練所の最初の卒業生、初代隊員の方をゲストにお招き致します!
まさに20年前の訓練生だった方です。

そして、今回の収録は今まさに訓練中の平成26年度3次隊の皆さんも参加しての収録です。
いつもとは違う雰囲気で、やる気みなぎる訓練生に囲まれての収録。
なんかこっちも緊張しますねぇ!

さ、今週のゲストは、先週に引き続き、
JICA二本松訓練所、初の卒業生、
青年海外協力隊 平成6年度3次隊として「インドネシア」に派遣されていました、身玉山 宗三郎(ミタマヤマ ソウザブロウ)さんです。
出身は愛知県。
職種は「野菜」です。

20年前、初の訓練生としてJICA二本松にやってきた身玉山さん。
それまでの訓練所と言えば、東京のJICA広尾訓練所と長野県にありますJICA駒ヶ根訓練所。
事前研修で八ヶ岳で長期研修もされていたので、駒ヶ根訓練所には行ったことあったそうです。
実は駒ヶ根訓練所は当時、二人部屋だったそうです。
そのイメージだったので、二本松訓練所が一人部屋と聞いて、戸惑いもあったそうで・・・
正直、二本松訓練所と聞いて、やや複雑な気持ちもあったそうです。

二人部屋とか三人部屋とかの方が社会性が向上したり、根を詰めすぎることを防げたり、深い話ができたり、人によってはリラックスできるかなとも思っていたそうです。

善し悪しはともかく、訓練所も時代と共に変化しているのですね。


そう、時代です・・・

当時は、パソコンも携帯電話もまだまだ普及していません。
今でこそ当たり前のインターネット環境ですが、当時は・・・

連絡手段と言えば、電話、FAX、そしてポケベルです。
訓練所にも公衆電話がありまして、長電話をしたり、それを待って順番待ちもあったようです。

懐かしいですねぇ、ポケベル!
僕も高校生の時はポケベル持っていましたよ。
数字でメッセージを伝える、11が「あ」で、12が「い」で、13が「う」で、って言うアレですよ。
今の20代以下の人たちには分からんだろうねぇ。
休み時間の度に公衆電話に走って、どれだけメッセージを早く打つかを競っていたあの頃。笑

そんなこんなですから、身玉山さんのインターネットデビューも携帯電話デビューも、なんと派遣先のインドネシア!

時代ですな。笑

そして、気になる20年前のイリュージョンの話も。笑
当時はさすがにイリュージョンという言葉はまだ無かったと思いますが。

もう協力隊に興味のある方なら分かりますよね?
このブログでもご紹介したことがありますが・・・
そうです、訓練所の恋愛事情です!

駒ヶ根訓練所での恋愛模様を駒ヶ根マジック。
広尾訓練所では、広尾ミラクル。
そして、二本松訓練所では、二本松イリュージョンと言います。

20代、30代の多感な時期の若者がひとつ屋根の下に集うわけですから。
まぁ、むしろ、それは自然なことですよね。

すでに20年前の二本松訓練所、開所当時から恋愛模様があったそうです。
なんかちょっと嬉しいんですけどっ。笑

でも、いつからイリュージョンと言うようになったんだろう?
誰か知ってる人いないかな?!


さて、20年の中に、日本でも様々なことがありました。
二本松訓練所で訓練が始まった1995年1月は阪神淡路大震災があった時。
日本中が驚き、悲しみに暮れたあの時。
二本松訓練所も例外ではなく、被災地となった阪神からも多くの訓練生が来ていたそうです。
そして、ボランティア精神に溢れる若者が集まっていた訓練所ですから、
自分たちも被災地に行って何かをしたい、被災された方のために何か出来ることがあるのではないか、必然とそんな話が挙がりました。

しかし、受入れ体制や支援環境が整わない中で、訓練生を出していいのか、
青年協力隊を待っている世界中の開発途上国の人たちがいる。
自分たちがここにいる目的は何か、やるべきことは何か。
ジレンマや葛藤の中で、様々な思いがあったと思います。

結果的に、実現することはありませんでした。
今でもいろんな意見があると思いますが、
JICAスタッフの苦渋の選択がそこにあったのも事実です。

そして、それが東日本大震災の時に確実に活かされているのだと思います。
ご承知の通り、JICA二本松訓練所は避難所のひとつとなり、たくさんの避難者を受入れました。
もちろんJICAの歴史の中で、避難所として訓練所を開放することは初めてでした。
全てが手探りの中で、受け入れるJICAスタッフでさえ被災者の一人です。
それでも被災地である福島に、JICA二本松訓練所という施設があったということが、少しでも被災者のためになり、少しでも福島の復興に意味があったと信じています。

そして、今なお続く福島の復興には、青年海外協力隊OVのチカラが活かされていることも付け加えておきます。


さ、身玉山さんの話に戻りましょう。
身玉山さんはインドネシアでの2年間の協力隊の活動を終えると、今度は協力隊のチームプロジェクトの調整員として1年間インドネシアで活動されます。

その後もインドネシアにJICA専門家として派遣されたり、在インドネシア日本大使館の政務専門調査員として赴任されたりと、インドネシアに関わる仕事をされております。

その中で、経済危機があったり、政治体制が変わったり、政情不安での避難勧告、スマトラ島沖地震など、教科書や新聞で見る出来事を直に経験されるのです。

新聞のテレビ欄以外の記事を読みふける小学5年生から始まり、その頃の問題意識と、協力隊や大使館での経験が総合して、今、あらたな道へ。

身玉山さんが思い描く新たな道は、ぜひ身玉山さんの個人ブログをご覧になって下さいね。

そしてこれからも、青年海外協力隊から始まったインドネシアとの縁を深めていきたいそうです。


最後に、先輩から訓練生へのアドバイスは?

• なめられないように?老けて見える工夫をした。
• 立場・肩書きが分かるように名刺を作った。
• 服装は大事、暑くてもスーツ。
• 口頭だけではなく、できるだけ文書でもコミュニケーションを。
• 良好な人間関係、時には上の人の権威の活用。
• 3A(あせらず、あなどらず、あきらめず)

今回の収録は平成26年度3次隊の皆さんも一緒で、ホントに真剣に聞いていましたからね。
候補生の皆さん、ぜひ参考にして下さいね!


さて、来週もJICA二本松訓練所20周年特別企画!
来週のゲストも20周年に関わりのある方。

なんと、泣く子も黙る鬼の訓練総括。笑
JICA二本松 初代訓練総括主任 津川智明さんをお迎えします!

いやいや、優しい方ですよ。
僕には仏の訓練総括に見えましたけどね。

来週もぜひお楽しみに!


そして、JICA二本松Facebookページもありますよ!
ぜひチェックして下さい!

この番組のFacebookページもあるのです。
こちらも是非チェックです!
2014年11月15日(gy) 08:30

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