JICA二本松訓練所、初の卒業生、 青年海外協力隊 平成6年度3次隊として「インドネシア」に派遣されていました、身玉山 宗三郎さん

「キミノチカラ、海をこえて ?青年海外協力隊の道」11/8放送

こんにちは、DJイタルです!

おめでと?ございますっ!
ヨォーッ、いつもより長く回しております?!

って言うくらい'めでたい'のです。

何が'めでたい'って、この番組を聴いて頂いている方ならお気づきでしょう。

そうなんです!
「JICA二本松」が、なんと、今年の12月で設立20周年を迎えます!
いや?、めでたい!
なんかね?番組で関わって3年ですけど、なんか勝手に家族みたいな気分なんです。
だから、なんだか、とっても、嬉しいんです。
こんな節目の年に番組が続けていられるってのも、やっぱり縁ですね?。

それに来年はJICA青年海外協力隊事業50周年なんです。
半世紀、約4万人の協力隊員、スゴイでしょ?

そして、なんとその活動が認められ、青年海外協力隊は、
このたび第21回読売国際協力賞特別賞を受賞することになりました!
この賞は1993年12月に、翌年11月の読売新聞創刊120周年を記念して創設され、第1回の緒方貞子・国連難民高等弁務官(前JICA理事長)を皮切りに国際協力の分野で活躍し、国際社会への貢献と協力の重要性を身をもって示した個人、団体・企業を顕彰する賞なのです。

今まで、現地で頑張ってきた隊員みんなが受賞者なんですよね。
これまた嬉しいですっ!

さて今回は、JICA二本松訓練所20周年特別企画。
なんとJICA二本松訓練所におじゃまします。
紅葉もはじまり、秋の装いの二本松に行ってきましたよ。

そしてJICA二本松訓練所は、今まさに平成26年度3次隊が訓練真っ直中なんです。
なんか訓練所内は活気がありまして、イイですね?。
チカラみなぎる、若人の息遣い。とでも言いましょうか。

さて、
ただ訓練所に行ってきたわけじゃないんですよ。
ある方に、会いに行ってきました!

そう!今回の20周年企画は、なんと二本松訓練所の最初の卒業生、初代隊員の方をゲストにお招き致します!
まさに20年前の訓練生だった方です。

ということで、今週のゲストは、
JICA二本松訓練所、初の卒業生、
青年海外協力隊 平成6年度3次隊として「インドネシア」に派遣されていました、身玉山 宗三郎(ミタマヤマ ソウザブロウ)さんです。
出身は愛知県。
職種は「野菜」です。

ミタマヤマソウザブロウさん、カッコイイ名前でしょ!
もう最初聞いた時は、歌舞伎役者か演歌歌手かと思いましたよ。

で、カッコイイのは名前だけじゃないんです。
シャキッと背筋も伸びて、たたずまいが違うんです。

現在は、神戸大学大学院で、国際協力研究科の博士課程で、
和解・調停制度を中心としたインドネシアの民事訴訟法を研究されています。

20年ぶりの二本松訓練所!!
かと思いましたら、帰国後の1997年に訓練生に活動経験を話す講師としてJICA二本松に来たそうです。
その他にも、同期隊員と二本松で食事会をしたことがあるそうです。

と言っても、15年以上ぶりだそうで、
今回、久しぶりに二本松訓練所内を見て回って、感慨深かったそうです。
宿泊棟の談話室なんかは、ホントに思い出深く、訓練生時代には夜遅くまで同期の訓練生たちと未来を語ったとか?雑談だったとか?笑
話の中身は何でも、同じ目標に向かって同じ時を過ごした仲間との大切な思い出の場所にかわりは無いですよね。

色あせない思い出が、ココにあるわけですよね。
卒業した協力隊員の数だけ、その思い出があるわけですもんね。


さて、話は20年よりもっとさかのぼりますよ?。

1980年代。
身玉山さんが、国際協力など海外に興味を持ったのは小学校低学年の時。
当時は、夜遅くまでテレビをやっているのが珍しかったそうです。
それに、子供は夜8時に寝るということになっていた。

まぁ僕もギリギリ生まれていますけど、正直覚えてないもんな?。

そんな身玉山少年が気になったのが、24時間テレビ。
本当に24時間放送しているのだろうか?
興味というよりは、好奇心ですな。

子供は夜8時に寝る時代に、夜中の2時にこっそり寝床を抜け出してテレビをつけてみたのです。
まだリモコンじゃないですよ。
ポチっとな!の時代です。

そこに映っていたのは、白く乾燥した地域で働いている日本の若者。
そして、胸がガリガリで、お腹がポコっと出ているアフリカの子供。

「自分と同じような子供が、お腹を空かして困っているのは、おかしい」
と、思ったそうです。

それでも、子供ですからそのことは、それきりで忘れてしまったそうです。

それから7、8年。中学3年生になって、進路を決める時期になります。
不思議と、夜中こっそりとテレビで見た、あの記憶が蘇ってきたそうです。

それから一気に国際協力に進んで行きます。
一度決断したら、ブレないんですね。

高校は国際協力の世界を目指そうと国際教養科に進学します。
高校から第2外国語の選択も出来るそうで、国際人を育てる学科なんですね。
その高校入試の面接試験の時に、すでに、「青年海外協力隊に参加したい!」と宣言したそうです。

いや?拍手っ!
すげぇ中学生ですよ!
まだインターネットも普及していない時代に、限られた情報の中でも、
身玉山少年には世界が見えていたんですな!

さて、青年海外協力隊の応募ですが、年齢は20?39歳なんです。
高校卒業しても、年齢的にはすぐに行けないんです。

そこで身玉山少年は・・・あれ、高校生、もう少年じゃないか。笑
そこで身玉山さんは、高校卒業後は協力隊が応募できる20歳になるまで、英語と野菜栽培の勉強をしたそうです。


そして20歳になり、いよいよ青年海外協力隊を受験します。
この時の合格が、条件付きの合格だったそうです。

んと、条件付き??
この時の条件は、長期研修を受けることだったんです。
長野県にある農業実践大学校と愛媛県の農場での長期研修。
しっかりとした技術と知識、そして経験を学ぶ研修ですね。

この経験がなかったらインドネシアでの活動も無かったと語るくらい、農業においても人生においても、大切なコトを学んだ研修だったんですね。

そんな農場での研修中に、JICAより「どこの国に行きたいか?」と話しがあったらしい・・・
普通は、受験の時にすでに希望国が書けたりするんですが。
さすがに時間も経っていますしね、改めての照会だったんでしょう。

その時記入したのが、「アフリカ」2カ国と「南米」1カ国。
で、届いた通知は・・・
そうです、「インドネシア」です!!

なんでやねん!
さすが協力隊!なかなか希望は通らないのです。笑

って、いやいやそんなこともないんですよ・・・
比較的通りづらいことも?あったりなかったりする?可能性がなきにしもあらず?な感じでしょうか?

まぁコントのようなフリとオチでしたね、ありがとうございます!

そうして派遣国も決まり、訓練の為にやって来たのがJICA二本松訓練所。
1995年1月。
まだ、できたてホヤホヤの訓練所です。

現在は青年海外協力隊は4次隊までありますが、1995年当時は3次隊まで。
ですから、今の3次隊は秋の訓練になりますが、当時の3次隊は1月から真冬の訓練だったのです。
真新しい訓練所も、冬の厳しさで全てを見ることが出来ず・・・
あそこにはグラウンドがあるらしい。
あっちにはテニスコートがあるらしい。
なんと、むこうには○○があるらしい・・・
え?、まさか○○が?!
噂ばかりが飛び交う平成6年度3次隊だったのです。笑

スタッフも、訓練生も、手探りの訓練だったことは間違いないですね。
もちろん、だからこそ一緒に作り上げていくJICA二本松だったんですよね。

JICA二本松訓練所でのウラ話は、また来週もありますよ!


さて、身玉山さんのインドネシアでの活動もご紹介しましょう。

インドネシアの南スラウェシ州のウジュンパンダン市食用作物事務局バロンボン農業指導所に配属されます。
現在のマカッサル市だそうです。

まず最初の1年目には、現地の気候と土壌を調べることに重点を置きます。
まぁ大事なことですよね?
農業の基本になるところですからね。
ところがどっこい。
現地では、「日本人は技術指導に来たのに勉強ばかりしている」と言われたり。
でも、へこたれずにコツコツとデータを集めたそうです。

このデータこそが、しっかりと後に活かされていくのに・・・
もちろん結果が出れば、納得してもらえますからね。
現地では、有言実行、数字やカタチで見せるのが一番伝わるのですね。

そこで行ったのが、まずはメロン栽培です。
まだ南スラウェシ州ではほとんど知られていなかったメロン。
レストランやホテルで使ってもらえれば新たな収入につながるのです。

これは技術的にも経営的にも、上手くいったそうです。

これだけではないですよ、次は時期をずらした栽培です。
みんなが同じ時期に同じ物を作るのではなく、通常は乾季に作る唐辛子を、雨季に栽培することによって高値で市場に出すことができるのです。

これは試験栽培の途中だったそうですが、見通しは良かったようです。

そして、もう一つはリボルディングを利用したトラクターの普及です。
身玉山さんが派遣された1995年当時は、農耕の主力は、まだまだ水牛だったそうです。

もちろんトラクターもありましたし、現地の人たちも、環境やコストなどを考えても、利用した方が有利であるという点はすでに理解をしていたそうです。
ただ値段的には、簡単に手が出るモノではなかったそうです。

そこで日本の協力でトラクターを導入することを考えます。
しかし、ただ導入するのではなく、農民で組合を作ってもらい、農業収益をトラクター購入代金として充当して、リボルビングする仕組みを作ったのです。
5台づつ2回に分けて導入しましたが、なんと当初の10台をこえて、農民の努力によって14台まで増やすことができたそうです。

専門家の方にも、当時の中でも評価されたそうです。


収入が増えれば、意識の改革にも繋がっていく。
ひとつ上手くいくと相乗効果を生み、また次の結果に繋がる
そして、結果が信頼に変わるのです。

協力隊があったからこそ、今の自分があると身玉山さんは言います。
それだけ帰国後の人生にも、協力隊は大きく影響しているってことですよね?


来週も、JICA二本松訓練所20周年記念企画です。
今、訓練中の平成26年度3次隊の訓練生も交えての収録です。
懐かしくもあり、新鮮でもあり、新旧の訓練生の出会いですな。
お楽しみに?!

そして、JICA二本松Facebookページもありますよ!
ぜひチェックして下さい!

この番組のFacebookページもあるのです。
こちらも是非チェックです!
2014年11月8日(gy) 08:30

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