今週のゲストです。篠田美絵さんです。 |
こんにちは、DJイタルです。 今週のゲストは先週に引き続き、 青年海外協力隊 平成20年度2次隊として、 「ホンジュラス」に派遣されていました 篠田美絵(しのだみえ) さんです! 現在は、伊達市にありますセイントクリニックで助産師として勤務されております。 もちろん協力隊の職種も「助産師」です。 首都から50qくらい離れた、グイノペと言う町の保健所に勤務されていたそうです。 そこで、妊婦さんに母親になるための勉強会を行うことが主なお仕事。 ホンジュラスでは、地方の診療所や保健所ではなく、首都などの病院で子供を産むことを勧めているため、篠田さんは直接お産に関わることは出来なかったそうです。 それでも、お産の準備のための、重要な仕事をしていたと言います。 ホンジュラスでは、地域によっては、まだまだ家で出産をする方もいらっしゃるそうです。 地域によっては、お産の準備の仕方も違うし、病院までの距離や、お金(費用)の問題もあり、国が勧めるようには病院に行けない妊婦さんもいるそうです。 国が勧める理想と、地方での現実に悩みながらも、 スペイン語の言葉の壁に、伝えたいことが伝えられないストレスを感じながら、 逆に、その分、目で見てわかる資料作りに力を入れて、毎月2回、母親学級を行ってきたそうです。 妊娠中の話、育児の話など、母親になるための勉強会です。 学校などでも開催したそうですよ! こう言った地域にあった地道な活動は、現地のスタッフからも評価され、 「美絵が帰ってからも、この母親学級は続けるよ!」と言われたそうで、 自分の活動が意味のあるものだったと、涙が出そうになったそうです。 青年海外協力隊の活動がめざす、ひとつのカタチですよね。 隊員が帰ってからも続く活動。 地元の人が継続し、地域に合ったカタチに発展して行くこと。 さて、 2年間の協力隊の活動を終えて日本に帰国して、一番驚いたコト! それは、携帯電話の進歩だったそうです。 携帯でテレビが見られる時代がやってきていたのです! そりゃ、2年も離れりゃ浦島太郎になりますよ。 電化製品と、人気アイドルと、総理大臣は、すぐ替わりますから! 大丈夫、篠田さんだけではありませんよ。 ごゆるりと、時間に、時代になれて下さいまし。 と思ったのですが、 篠田さん、あまりユックリもせず、 ベビーマッサージの資格を取得したり、いろんな病院の研修に参加したり、 その後の選択肢として、いろんなことを学びたいと思ったそうです。 そして、ホンジュラスでは、対大勢に教えることが多かったので、日本では一対一で向き合って仕事がしたいと思ったそうです。 結果として、もともと働いていた病院で働くことを希望されて、 ホンジュラスから帰ってきて、3ヶ月後には今の病院に戻られたそうです。 改めてお産に関わり、お産一つ一つを大切に思う気持ちが強くなったと言います。 そして、帰国半年後に、東日本大震災が起きます。 今、自分の出来るコトをしようと思ったそうです。 自分も被災地の一人だけど、それでも、山形や宮城にボランティアに行かれたそうです。 思い立って、すぐ行動。震災で自分の積極性や行動力に気付き、協力隊での経験が活かされていると感じたそうです。 困っている誰かのために。 国際協力も、被災地支援も、誰かを思う気持ちは一緒なんですね。 さぁそして、 篠田さんの帰って来てからの一番大きな変化は・・・ そう、もちろん結婚でしょ! それも、新婚さんなんです!! いいな〜、うらやましいな〜、新婚生活かぁ、 「おかえりなさ〜い!ゴハンにする?お風呂にする?それとも・・・」 って言うアレでしょ! 篠田さんに、ステキな人と出会う秘訣を聞いたら、 「青年海外協力隊で2年間、海外でスゴい生活をしていた!」と 言わないこと、だって! え〜、なんで? たくましく、勇ましく思われないようにだって! 放っておいても、一人で強く生きていけると思われないようにだって! マジ?え〜、そんなことないよねぇ? 2年間の海外経験は人として十分魅力的でしょ! むしろアピールすべきでしょ! あっ、手でゴハン食べたり、木の枝で歯磨きしたら、ちょっと驚くけど・・ 篠田さん曰く、他の女子経験者曰く、 日本の生活に慣れ戻るまで、半年間は出会いが無いらしい・・・ ひょんな時に、派遣国でのクセが出るらしい・・・ 「女の子」に戻る時間が必要らしい・・・ もしかして、これは青年海外協力隊の女子は帰ってきてみんな思うのかな? 協力隊経験者のための「女の子に戻る講習会」と「婚活パーティー」が必要なのではなかろうか。 もしや、青年海外協力隊の新たな課題か・・・ やっぱ青年海外協力隊、奥が深えぇ。 |
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