3月11日の地震が発生した時も、その後余震が起きる度に
「大丈夫か〜!?」「福島はどうや〜。」「元気か〜」と
明るい声で連絡をくれる、お父さんのような、いや、お兄ちゃんような、
いえ、頼れる、元気なおばちゃんがいます。
“男の顔したおせっかいなおばちゃんです〜。”でお馴染み、
『Love in Action』パーソナリティの山本シュウさん。
地震発生後、一番最初にふくしまFMのスタジオに
足を運んで下さったDJです。
被災地へラジオを届けた後、RADIO GROOVEに生出演し、
その後、モーニングフリーウェイふくしまにも出演して
お話を聴かせてくださいました。
シュウさんは、地震が起きた後、毎週末、車でラジオを届けに
東北を訪れていらっしゃいます。
戻った後は、そのまま東京、大阪で番組収録、大学の講師、
そしてまた福島、宮城、岩手の避難所へ元気を届けに行く。
かれこれその生活が1ヶ月。
「そんなに眠らないで大丈夫ですか?」とこちらが心配になるくらいなのですが、
いつもシュウさんが私にお話されるのは、
「俺なんか被災地の人に比べたら、何もしんどいこともないんやで
もっともっと皆大変。そやのに俺が元気をもらってるわ!」。
凄い人です。
とても心強く感じます。
そして私自身もっともっと強くならなくてはいけないと思います。
シュウさんのように、被災地へ足を運べなくても
福島、東北のリスナーさんに元気になってもらいたいと
毎日のように沢山のエールがスタジオに届いています。
多くの応援にこたえるためにも、
福島も住む私達は、元気になれる人から、
どんどん元気にならくてはいけませんね。

シュウさんが手がける、使っていないラジオを被災地に届ける
『ラジオバトン・プロジェクト』。
詳しくは
コチラをご覧下さい。
まだまだ避難所などではラジオが足りていないのが現状です。
先日、ラジオが届けられ二本松市の避難所の方にお話を伺ったのですが、
今回は、避難されている方が、シンセキ村に
「ラジオが欲しい」とリクエストを送ったことがきっかけで、
こちらの避難所にラジオが届けられたそうです。
突然のシュウさんの訪問、そして手渡されたラジオ、黄色いボールに
子供達も大喜びで、笑顔いっぱいの時間になったそうです。
今度は届けられたラジオからの音で
少しでも心安らぐ時間を過ごして欲しいと願います。
そして、避難された場所で過ごされている方が、1日でも早く日常生活が戻るように
今私にできることを伝え続けていかなくてはいけないと心から思います。
2011/04/14(Thu) 18:40:07
大地震発生から一ヶ月が過ぎた今も大きな余震が続いています。
ちゃんと眠れていますか?
体の具合はいかがですか?
自分の体を労わることを第一に考えて過ごして欲しいと願います。
今日はいつこのブログに載せようかと考えていた写真を一枚アップしますね。
東日本大震災発生から一週間たった頃に矢吹町に住む友人から届いたものです。
友人は3月末に出産予定だったので、
この写真が届いた時は涙が止まりませんでした。。
写真と一緒に、
“3月15日に野戦病院のようなところで出産し
産後5時間で退院。自宅はまだ断水なので、
今須賀川の夫の実家にいます。
原発の状況がわからないので、とても不安です”と添えられていました。
余震に原発。小さなお子さんを持つ、お母さんお父さん達の
不安は計り知れないと思うのですが、
“産後寝ている間もなく、バタバタ通常より気ぜわしいみたい”と話す
友人の言葉に、母の強さと温かさを感じました。

3月15日に生まれた春馬君をはさんで、
お姉ちゃんの桜子ちゃんと、お兄ちゃんのゆうが君。
2ヶ月前桜子ちゃんに会ったときに
「赤ちゃんは春馬ってつけるの!!」。と
嬉しそうに話してくれたのを思い出します。
先日再び友人からメールが届いたのですが、
“春馬はその後何事もなく、1ヶ月になります”と
書かれていました。
水もないところで生まれた子供たち。
空の青さのように逞しく、
人の気持ちのわかる優しい子に育つに違いありません。
今、元気な笑い声を届けてくれる子供達の未来が
想像以上に幸せで、笑顔だらけの時になるように
私達大人がしっかりと前を見て進んでいかなくてはいけないのですよね。
子供達の笑顔。まさに希望です。
2011/04/13(Wed) 10:56:20
今日取材のため、地震後初めて相馬を訪れました。
震災が起きる3日前に訪れた松川浦の美しい景色は
瓦礫に覆われ、建物や車は、まるで地面に突き刺さっているかのようでした。
津波の爪あとが生々しく残っていて、言葉を失いました。
言葉は人から人へ、悲しみも苦しみも伝える大切な手段だけれども
その過酷な現実の前では、どんな言葉も意味を持たず、
無力に感じます。
訪れた避難所の床はコンクリートで
その場所に立っているだけでも、冷たさを感じ、
廃校を避難所にしていることもあり、
地震発生から1ヶ月が過ぎようとした今も、
水もガスも通っていませんでした。
そのため食事の準備は、避難所ではできず、
炊き出しなどもほとんど行われていないとのことでした。
笑顔の向こうで言い知れぬ悲しみや不安を抱えているはずの
子供たちの無邪気な笑顔と、元気な声が救いでした。
そして厳しい状況の中でも他を思いやり気遣う皆さんの優しさに触れ
私もしっかりとサポートしていかなくてはと感じています。
スタジオのある郡山市内は24時間営業のコンビニエンスストア、
深夜まで営業する食事処も増え、
日々灯りを取り戻しつつあります。
でも、震災直後から何も変わらない状況の中、
大きな苦しみを抱え、不安で眠れない夜を過ごされている方が沢山いらっしゃいます。
伝えなくてはいけないことが多くあるのですが、
今日はその思いがまとまりません。
どうか避難された場所で過ごされている方々が
1日でも早く、心安らげる場所で、
温かい布団の中で眠ることができますように。
2011/04/09(Sat) 01:39:32
太陽が元気いっぱいの1日でしたね。
今日は、福島を元気に照らす光を浴びながら、
郡山駅前まで出かけてきました。
重いコートを脱いで、軽やかな姿で歩く人が沢山いて
その姿を見るだけで、元気をもらいました。
瑞々しい自然の息吹を感じる春。
いたるところに、笑顔になれるものがありました。
その一つがこちら!

郡山駅前、さくら通りにある“まざっせプラザ”の前、掲げられた
大きなボード!震災から4日後からあるんですよ。
震災直後は、営業しているお店の情報がほとんどなく、
開いているお店があれば、皆で情報を共有しよう!と
作られたそうです。

道行く人から、「あそこのお店が開いてましたよ〜!!」と
沢山の情報が寄せられているそうです。

こんな風に、多くの方からの情報をもとに、
スタッフの方が、手作りでお店の情報を追加し
ボードの地図が埋まってきています。
私自身、今週スタッフの方が地図に追加しているのを
見かけました。
震災直後は、さみしかったボードも、賑やかになってきました!

郡山は夜遅くまで営業するお食事処も増えてきていますが、
まだまだ開いているお店が少なく不便な生活を余儀なくされている方も
いらっしゃると思います。
この元気がどんどん伝わって、1日でも早く、福島、東北に心安らぐ夜が
訪れますように。
2011/04/07(Thu) 17:46:32
明るく優しい光がとても心地よく、穏やかな日が続いています。
街全体が自然の優しさに包まれているようで、
一瞬あの地震は夢だったのではないかと思うほどです。
でも新聞各紙は一面、震災、原発のニュースを取り上げていて、
現実に気づかされ、今私にできることは何だろう、
何をすればいいのだろうと考える毎日です。
それと同時に、不安にのみこまれてしまいそうになっていた日々から
前へ前へ向かって進んで行こうというする見えないチカラを
毎日感じています。
元気になれる人から元気を発信!ですね。
今日は県内各地で小学校の入学式が行われました。
住み慣れた町から、遠く離れた場所で春を迎えた子供たちも
沢山いると思います。
どうか、それぞれの場所で、元気いっぱいの笑顔で、
素敵な想い出を作って欲しいと願います。

このところ、可愛らしい小鳥の鳴き声で目が覚めます。
散歩に出かけると、梅の花は満開で、桜の蕾は膨らみ
ミモザはどんどんはじけていました。
自然の猛威は私たちから多くものを奪ってしまったけれど
私達の心を励まし、勇気づけ、笑顔にするのもやっぱり自然なんですね。
どんなに苦しくても悲しくても、必ず春はきて、
美しい花を咲かせ私達の心を和ませてくれます。
明日も笑顔が多い1日でありますように。
2011/04/06(Wed) 18:25:37
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